木造聖徳太子立像 もくぞうしょうとくたいしりゅうぞう

彫刻 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19900629
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 金峯山寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 鎌倉時代以降、盛んに造立された、いわゆる十六歳太子孝養像で、現在、当寺本堂(蔵王堂)の内陣、向かって右脇檀上の厨子内に安置されている。像は、頭躰幹部の大略を檜の一材から彫出し、両耳後を通る線で前後に割矧ぎ、内刳りを施し、袍の襟際で割首として、玉眼を嵌入している。表面は彩色がほとんど剥落しており、現状、古色を呈している。
 この種の像としては、きわめて大型のもので、頭躰部ともに十分な量感をもたせながら、深い大振りの衣褶で太造りの躰躯を巧みに引き締め、充実感のある姿に彫り上げられている。
 本像には、附の納入品のほかに文永十一年(一二七四)に定意及び信□(道)による書写奥書のある無量寿経と阿弥陀経が奉籠されていたことが報告されており、本像の制作時期はこの奥書の年紀に近い頃とみて大過なく、当代孝養像の一基準作としても注目される。この時期の孝養像としては、文永五年(一二六八)、仏師善春作の元興寺像、一説に院派の作とする道明寺像が著名であるが、本像の作風と明らかに異なり、本像の作者を当代の慶派を代表する、康円とする説もある。作者については、なお検討の余地があるが、父帝の病を憂える面貌表現にみる写実性や、衣文の深く力強い彫口などを考慮すれば、慶派の仏師の手になる可能性は十分考えられよう。
 なお、像内納入品の中に五髻文殊と大黒天の摺仏が含まれていることや、前述した散逸経の書写僧の名が弘安三年(一二八〇)造立の西大寺、叡尊像の納入文書「授菩薩戒弟子交名」などにみられることなどから、本像は西大寺の叡尊に関わる造像である可能性が考えられる。叡尊の自伝『感身学正記』文永九年条によれば、彼は同年三月、金峯山に参じたことが記されており、本像の造立をこれに結びつけることも可能であろう。

木造聖徳太子立像

ページトップへ