綿入れ仕立で、黄の練緯地【ねりぬきじ】に絞り染めで鋸歯文【きょしもん】を赤で三段に入れ、その中に白抜きの花菱亀甲【はなびしきっこう】と丸に桔梗文【ききょうもん】を交互に萠黄で表わし、黄地のところには紫、白、浅黄、鶸の四色で大小の丁字文を散らした色彩あざやかなもので、色の調和もよく、図柄は一見単調に見えて大らかさがある。文様は優れた絞り染めで表され、特に丁子の実は先端まで紫がよくゆきわたり、伸びやかに表現されている。
この道服は、石見銀山鉱山師の安原伝兵衛(のち備中と改める)が、慶長八年(1603)八月五日、伏見城において徳川家康より拝領したもので、その後、貞享元年(1684)四月に備中の孫が石見銀山代官由比長兵衛に差し上げ、さらに同二年二月に代官から清水寺に奉納されたことが知られる。
色彩、技法、形態など桃山時代の特色を良く表し、由緒が明らかな遺例として貴重である。