紫地葵紋付桐文散辻が花染胴服 むらさきじあおいもんつききりもんちらしつじがはなぞめどうふく

工芸品 / 安土・桃山

  • 桃山
  • 1領
  • 重文指定年月日:19880606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 東照宮
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 胴服は室町時代末から桃山時代にかけて武将たちが小袖のうえから羽織った表着である。こうした胴服には当時流行の染織技法が駆使され、様々なデザインを展開した。そのなかにはいわゆる辻が花染のものが見られる。辻が花染は室町から桃山時代にかけて登場した、縫【ぬ】い締【じ】め絞【しぼ】りの技法を主体とする文様染である。もともとは女性や子供が用いるものとされたが、桃山時代には男女階層の別を問わず広く辻が花染が愛用されるようになった。
 これは辻が花染胴服の遺例の一つで、徳川家康(一五四一~一六一六)の所用と伝えられる。薄く綿を入れた袷仕立で、表の紫練緯地【むらさきねりぬきじ】には縫い締め絞りによって白揚【しろあ】げ・萌葱【もえぎ】・浅葱【あさぎ】に染め分けた桐の文様を適宜散らし、胸と背には三つ葉葵丸紋の三つ紋を据える。葵紋の丸は浅葱、なかの地は白く残して、葉は萌葱二枚、浅葱一枚に染めるなどすべて絞り染であらわしている。意匠のうえからは、豊臣秀吉所用とされる桐矢襖文胴服(京都国立博物館保管 重文)や石見銀山【いわみぎんざん】の山師安原伝兵衛が家康から拝領した丁子文胴服(島根県清水寺所蔵 重文)など現存の辻が花染胴服の多くが大柄で華やかであるのに対して、これは文様や配色がひかえめで、紫の地に按配よく散らされた桐文の、間【ま】の取りかたも巧妙である。むしろこうした意匠は家康所用の槍梅葵紋散辻が花染小袖(徳川黎明会所蔵 重文)に見るような瀟酒なデザイン感覚に通じるといえよう。また、形態的には袖幅が狭く、身幅は広く、襟幅も広いといった桃山時代の特色を示し、家康所用の白地葵紋檜葉草花模様辻が花染胴服(水府明徳会所蔵 重文)に近似している。同時に伝えられた胸紐は紫の組み紐に撚金糸【よりきんし】を組み込んで縁取りと菱繋ぎを表したもので、当代の遺品として希有である。
 当初の姿を伝え、桃山時代の特色をよく示した辻が花染胴服の遺例である。

紫地葵紋付桐文散辻が花染胴服

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