歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 平安
この文書は深草にあった貞観寺の子院法勝院が安和二年(九六九)七月七日の火災で、田地公験等を焼失したため、翌八日後證のため所領目録を作製し、山城国司らに證判を請うたものである。首一行を欠くが、巻末に山城国司藤原為輔等の署判がある。国判部分の字面と紙継目には「山城倉印」十二顆、国判を除く字面と紙継目に「紀伊郡印」計一八二顆を捺す。その所領は紀伊郡鳥羽郷から甲斐国市河庄に及び、貞観寺の盛時の規模をよく伝えている。本文書は平安時代紛失状古例として、また倉印史料としても注目される。
鳥羽院庁下文〈天養二年七月九日/〉
筑前国嶋郡川辺里大宝二年戸籍断簡
豊前国仲津郡丁里大宝二年戸籍断簡