歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 安土・桃山 江戸 平安 室町 鎌倉 南北朝
八坂神社文書は祇園社の旧執行宝寿院に伝来した文書で、明治より神社所有となった文書(九巻)と、旧社務執行であった建内氏の旧蔵文書からなる。
神社文書は、延久二年(一〇七〇)二月廿日太政官符以下鎌倉、室町時代の文書を中心とする九五通を存する。このうち延久の太政官符は、祇園社の四至を示し、その領有を改めて認可したもので、同社の根本文書ともいうべきものである。また、元弘から康安年間(一三三一-六二)に至る足利尊氏御判御教書や幕府御教書類は、付箋に祐筆、奉行人名がみえ、室町幕府初期の文書研究上に注目されている。
建内文書は、承安二年(一一七二)から江戸時代に至る二千百余通を存する。内容は多岐にわたるが、中心をなすものは祇園社領四箇保と称された丹波波々伯部保、備後小童保などの社領関係文書で、中世における祇園社領の規模、構造を伝えている。また、馬上十二鉾相伝系図や祇園会馬上料足請取状など祇園会に関するものがまとまっており、その変遷が知られる。このほか、祇園社の組織を明らかにする文書も多く、祇園社に属した犬神人の活動を示すものや、祇園諸座の関係史料も散見する。
このように本文書は、中世祇園社とその祭礼の歴史を具体的に伝えるのみならず、中世都市、商業史研究上に価値が高い。