制札 せいさつ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 鎌倉 南北朝 室町 安土・桃山

  • 鎌倉~桃山
  • 6枚
  • 重文指定年月日:19940628
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 金剛心院
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 鎌倉時代後期以降、西大寺系の律宗寺院として栄えた金剛心院に伝来した制札六枚で、それぞれ檜、杉、松の柾目板を用い、槍鉋等で表面を平滑にした上に本文を墨書している。
 このうち(一)元亨四年(一三二四)八月十三日六波羅禁制【きんぜい】は、国家御祈祷所であった金剛心院の由緒を明らかにするとともに、奉行人及び右筆【ゆうひつ】など発給の過程も知られて注目される。大型厚手の檜材で、釘穴跡はないが、頭頂、左右の当の痕跡より、ある時期風雨の影響をうけない場所に掲示されていたと考えられる。(二)元弘三年(一三三三)五月十八日足利高氏禁制は六波羅探題攻略直後に出された尊氏初期の発給文書で、檜材を用いる。(三)建武三年(一三三六)八月廿九日足利尊氏禁制は、九州から西上入京した直後の発給になる。檜材で、計五箇所に打付穴跡があるが、風化は少なく、比較的短期間の掲示であったと思われる。(二)(三)は、右辺木口に異筆で「金剛心院」の墨書があり、本文の体裁と併せて制札の大量発給のあり方を示すものとして注目される。(四)文亀四年(一五〇四)正月日延永春信禁制は、丹後守護代、府中城主であった春信が、若狭守護武田氏との争乱に際して掲げたもの。薄手の杉材には、縦割れを接合した跡があり、掲示用の釘穴跡がある。(五)永禄三年(一五六〇)九月日松永長頼禁制は、丹波八木城主として事実上の守護代であった蓬雲軒宗勝(長頼)が発給。やや厚手の檜材を用い、釘穴跡はない。(六)慶長六年(一六〇一)十一月日京極高知禁制は、長岡忠興に替わり宮津城主として入部した高知が、領内の諸寺に新たに掲げたもの。松材の天部に笠屋根を取り付け、表面には文字を揃えるためと思われる縦横の浅い線刻がある。
 今日現存している制札の多くは中世後期以降のもので、鎌倉・南北朝時代の制札はごく稀であり、これら六枚の制札は、まとまった制札の遺品として全国的にも珍しく、古文書学上にも価値が高い。

制札

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