『寛平御遺誡』は、寛平九年(八九七)に宇多天皇が幼少の醍醐天皇に譲位するにあたり、天皇としての心得を書き与えた訓戒書である。内容は日常の所作、任官叙位、公事儀式等のことから藤原時平、菅原道真ら具体的な廷臣の人物評に及んでいる。個人的な訓戒書であるが、『源氏物語』『政事要略』などの諸書に引用され、のちには天皇必見の書、摂関や蔵人も常に参照すべき書とされた。現在、全文は伝わらず、その逸文が諸書にみえている。
本巻は、その鎌倉時代に遡る唯一のまとまった古写本として著名なものである。体裁は巻子装だが、料紙には半葉十行の袋綴用に淡墨界を施した楮紙を転用している。本文は一紙二四行、一行二〇~二二字前後に端麗な筆致をもって書写している。内容は、首を欠き「供朝膳、申時」(「巳時供朝膳、申時供夕膳」という食事の時刻に関する条の一部)から巻末の跋文まで、およそ十九条分を存し、巻末には左の奥書がある。
「本云
承安二年十一月七日以納言殿御本書取了、
日向守定長
寛元三年四月十一日加一校了、以中宮権大進俊兼本書写之、
春宮権大進光国」
この奥書によって、本巻は寛元三年(一二四五)に日野光国(一二〇六-七〇)が中宮権大進藤原俊兼の本により書写校合したもので、その俊兼本は承安二年(一一七二)に日向守藤原定長が納言殿(未詳、藤原資長か)の本を書写したものであることが判明する。
『寛平御遺誡』は天皇の訓戒書として最古のもので、群書類従などに収められて流布しているが、その現存諸本はすべて、この日野光国書写本の系統本である。本巻は諸本の祖本にあたり、平安時代の政治、文化史上に貴重な史料である。