『範国記』は、後朱雀天皇の五位蔵人を務めた平範国【たいらののりくに】の日記で、範国が蔵人右衛門権佐、正五位下であった長元九年(一〇三六)から十二月に至る記事を収めている。
本巻は、その平安時代後期の書写になる現存最古本で、体裁は巻子装、斐交り楮紙を継いで料紙に用い、天に複罫、地に単罫を施している。本文は一紙約二五行、一行約一八~二〇字、注は双行に書写され、巻首を欠くが、長元九年四月十七日条の後朱雀天皇践祚の記事の途中より十二月廿二日までを存し、巻末には長承二年(一一三三)四月、中宮権少進平信範が左中丞(平実親)の本を書写した旨の奥書がある。本文および奥書の筆跡は京都大学保管の『兵範記』(重要文化財)の自筆本と一致し、平信範の書写になるものと認められるが、『兵範記』自筆本は信範晩年の清書本であって、それと筆致を同じくする本巻は、信範が二十二歳の長承二年に書写した本を晩年に至って再度書写したものと判断される。
長元九年は後一条天皇の崩御(四月十七日)をうけて後朱雀天皇が践祚し、大嘗会等も行われたが、この年の記録としてまとまったものは、他に『左経記』の一部分が存するのみで、『範国記』はこの年の基本史料として重視されている。記主の範国は参議平親信の孫で、平信範の曽祖父にあたり、文章生から春宮大進、右衛門権佐、美作守、伊与守、蔵人等の官職を経て正四位下に至ったが、関白藤原頼通に近侍していたので、その記事中には頼通の動向を伝えるところも多く、注目される。現存する『範国記』諸本は、いずれもこの京大本の系統のもので、本巻は現存諸本の祖本にあたり、平安時代史研究上に貴重である。