『知信記』は知足院関白藤原忠実の家司で、前項『範国記』の平範国の孫にあたる平知信【たいらのとものぶ】(?-一一四四)の日記である。その現存する記事は大治二年(一一二二)五月より同五年十一月に至る抄録本、および天承二年(長承元年、一一三二)、長承四年の本記が知られている。
本巻は『知信記』の現存最古本として、流布本の祖本と認められるもので、平安時代後期の書写になり、知信が少納言であった天承二年正月より三月までを収めている。体裁は巻子装で、料紙は斐交り楮紙を継いで用い、本文は一紙約二五行、一行一八字前後、注は双行に書写しているが、巻首を欠し、正月一日条より三月卅日条までを存している。奥書はないが、書写の体裁、筆跡は『範国記』と一致し、平信範の書写になるものと認められる。
記事の内容は多岐にわたるが、とりわけ二月二十八日に行われた法成寺塔供養に関する記事は詳細で、二月十一日条の塔供養定から廿八日条の供養会までの動向を詳しく伝えており、二月十一日条の紙背には同日の塔供養日時勘文、塔供養雑事定、二月廿六日条の紙背には供養の宣命が書写されている。また三月廿六日条は列見の記事で、八紙にわたって書写されているが、この部分の料紙は前後とやや異なり、別紙に書写したものを挿入したものと考えられる。
崇徳天皇の時代を伝えたまとまった記録として、藤原宗忠の『中右記』が著名であるが、この『知信記』は法成寺塔供養のことをはじめ、摂関家の家司の立場から当時の社会の動向をよく伝えており、平安時代史研究上に貴重である。