伯家記録 はっけきろく

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 平安 室町 鎌倉 南北朝

  • 千葉県
  • 平安~室町
  • 国立歴史民俗博物館 千葉県佐倉市城内町117
  • 重文指定年月日:20050609
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 大学共同利用機関法人人間文化研究機構
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 『伯家記録』は神祇伯職【じんぎはくしき】を世襲していた白川家伝来の日記群である。白川家は花山天皇皇子清仁親王を祖とし、親王の子延信王以来、その子孫が歴代の神祇伯に就任したことにより、伯家と称されている。
 本記録は『顕広【あきひろ】王記』の長寛元年(一一六三)に始まり、鎌倉時代の『仲資【なかすけ】王記』『業資【なりすけ】王記』『業顕【なりあきら】王西宮参詣【にしのみやさんけい】記』に次いで、『忠富【ただとみ】王記』の永正元年(一五〇四)までの二五巻からなる記録である。
 各巻の体裁は巻子装、『顕広王記』から『業資王記』までは日付一行書き(間明【まあき】なし)の具注暦【ぐちゅうれき】に直接記載している。
 『顕広王記』は、長寛元年から治承二年(一一七八)までの暦記七巻で、記事には安元二年(一一七六)三月四日から六日にかけて、高倉【たかくら】天皇の行幸により法住寺殿で催された後白河法皇五〇歳の御賀(巻第五)などを記している。
 『仲資王記』は治承元年から建保元年(一二一三)までの暦記八巻で、安元三年四月二十八日条に「夜大焼亡、自樋口富小路出来、大内、八省、大極殿」(巻第一)などと記す。
 『業資王記』は正治元年(一一九九)から建保六年までの暦記五巻で、建久十年(一一九九)正月十八日条には「関東前右大将頼朝、去十一日依所労、遁世之由風聞云々」(巻第一)とあり、二十日条には「彼幕下、去十三日薨去已了云々」と、源頼朝の死去を伝えている。
 『業顕王西宮参詣記』は正安三年記の別記として後年に制作されたもので、一四通の文書を翻して書かれている。内容は摂津国広田社および西宮社へ神祇伯就任初の参詣記である。
 『忠富王記』は明応五年(一四九六)から永正元年までの四巻で、前年の具注暦の紙背を利用している。広田社、松尾社の神主補任や年貢を中心に記述する。
 日記の料紙には間明なしの具注暦が利用されているものの、平安・鎌倉時代は具注暦に直接記載し、室町時代は具注暦の界線を利用して紙背に記すという相違点があり、具注暦自体から離れていくさまがうかがえる。
 『伯家記録』は、平安時代後期から室町時代前期に至る神祇伯白川家の日記で、当時の政治・社会の動向をうかがい知れる第一級の史料であり、具注暦を用いて記録を書き込む日記の書き様を伝える貴重な原本である。

伯家記録

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