賤機山と称せられる丘陵の突端に存する円墳である。この古墳については、「駿河国志」等に、明和年中に偶然頂上部が穿孔され内部に石室石棺が存し鈴・鏡等も遺存した旨が、記されているもので、この後閉塞され久しくこの内部につき知ることもなく今日に及んだが、昭和24年調査を行い再び石室石棺を顯現すると共に、残存する多数の遺物をも検出して新たな知見を加えることができたものである。石室は羨道と玄室とより成る南面する横穴式のもので玄室は奥行約6.80米間口約2.10米、高約3.50米を有し、入口に近い位置に家形石棺が存する。蓋・身の二部より成り、身は刳り拔き、蓋は屋根形を呈し、両側にそれぞれ三個前後面にそれぞれ一個の縄掛突起あり、雄大麗美な造構を示している。
室及び棺内から金銅冠金具断片、金銅杏葉、金銅鞍金具、金銅雲珠、金銅鈴、鉄刀、鉄刀子、鉄鏃、鈴鏡残欠、須恵器等が発見された。この古墳は石室石棺もきわめて雄大であり残存遺物の優秀なことと共に、東海地方における稀有の例に属する。