S52-12-044木綿原遺跡.txt: 本遺跡は、沖縄本島の中部、東シナ海にのぞむ海岸線に並行し、幅40メートル以上の砂丘上に所在する。延長150メートルを越える大規模なものと考えられる。
遺跡は、沖縄貝塚時代中期を中心とし、前期包含層もみられる。遺跡南半部のやや内陸寄りには中期の貝塚が形成されており、中央部には同時期の墓域の存在が確認されている。この墓域内の小範囲の発掘で箱式石棺墓6基と特別な埋葬施設を伴わない人骨3体が発見されている。箱式石棺墓は、いずれもその上部を丸い石灰の岩塊や、板状のサンゴ石灰岩などで覆われていて、この集石群ををとりはずすと箱式石棺墓が姿を現わすのである。
たとえば、第1号箱式石棺墓には、1体ずつの計3体が重なり埋葬されていた。そのうち、中層の1体のみが長く保存されており、伏臥伸展葬を示していた。足もとを2個のシャコガイ、顔面額にはサラバテイラの頂部があてられていた。上層人骨には甕形土器が副葬されており、ほかに巻貝製玉がある。また、石棺外に接して弥生式土器の甕と磨製石斧がある。
これらの箱式石棺墓は、沖縄におけるはじめての発見であり、九州方面の弥生文化との交渉を具体的に示唆するものである。また、同時に招来されたと考えられる弥生式土器は、沖縄の先史文化の編年を弥生文化との関連についてより詳細に把握するための資料として重要である。