徳之島(とくのしま)最南端の珊瑚礁の浅海に面した海岸砂丘上及び石灰岩地帯に立地する,縄文時代後期(貝塚時代前(ぜん)4期)を中心とした集落跡である。
昭和3年(1928)に発見された当初から,九州島と沖縄地域を繋ぐ土器群が出土したことから,奄美地域の地理的・歴史的な重要性が注目された。
遺跡は,弥生時代の箱式石棺墓(はこしきせっかんぼ)や古墳時代後半期から古代(貝塚時代後期)に属する貝層が存在する崖下と洞穴に立地する第一貝塚,縄文時代後期の居住域である海岸砂丘上の第二貝塚,奄美地域の古墳時代後半期から古代にかけて分布する兼久(かねく)式土器の標識遺跡である第三貝塚,縄文時代中期から後期にかけての崖下と洞穴及びその前面の斜面部から成る第四貝塚によって構成される。奄美・沖縄地域の縄文時代における海岸砂丘上及び石灰岩地帯に立地する集落遺跡の典型であり,九州島と沖縄地域との間に位置することから,両者の関係性の解明にとって重要な存在である。さらに,昭和初期より奄美・沖縄地域の縄文時代研究において常に中心的な役割を果たしてきた意義も大きい。