住吉貝塚は、琉球列島の奄美大島と沖縄本島の間にある沖永良部島の西岸に所在する、縄文時代後期後半から弥生時代初頭併行期にかけての貝塚を伴う集落遺跡である。遺跡は北側に谷をひかえ、海岸崖上標高約12mの緩やかな南西向き斜面地に立地し、晴天時には南方30kmに与論島を、同じく南方60kmには沖縄本島を望むことができる。
昭和32年、九学会奄美大島共同調査考古班によって発見され発掘調査が行われた住吉貝塚は、琉球石灰岩を壁面に組み上げた琉球列島中部文化圏独特の竪穴住居が注目を集めた、学史的にも有名な遺跡である。ところが近年、この一帯では農業基盤整備事業の計画が浮上したため、知名町教育委員会では平成13年から17年まで、貝塚の範囲や内容を確認するための発掘調査を実施した。
遺跡の規模は東西120m、南北100mに及ぶ。発掘調査では14棟の竪穴住居と3基の土坑、2カ所の貝塚が確認されたほか、竪穴住居廃絶後の窪みに食料残滓などを廃棄することで形成された小規模な貝塚(地点貝塚)がすべての竪穴住居において見られた。竪穴住居については、いずれもほとんど削平を受けることなく遺存状態がきわめて良好であることから、縄文時代後期後半には地面を掘り込むだけの構造であったものが、縄文時代晩期や弥生時代初頭併行期においては、掘り込みの壁面に琉球石灰岩を組み上げる構造へと変遷していた過程を追うことができた。なお、竪穴住居については全体で50棟ほどになると推定されるが、谷を挟んだ北200mにある友留遺跡でも、住吉貝塚と相前後する時期の竪穴住居群が発見され調査が進みつつある。
自然遺物としては、珊瑚礁や岩礁域に生息するハタ科・ブダイ科の魚類やオキニシ・チョウセンサザエといった貝類のほかに、外海域を回遊するニシン科・トビウオ科の魚類が琉球列島中部文化圏で初めて確認され、多様な漁撈活動の復元が可能になる。獣骨についてはイノシシが圧倒的に多く7割を占め、クジラ、イルカ、イヌがこれに続く。
人工遺物では、縄文時代後期後半から弥生時代初頭併行期の琉球列島中部文化圏独自の土器群中に、九州島の縄文時代晩期黒川式土器の搬入品が1点見られる。石器は両刃石斧・小型片刃石斧・打製石斧などが中心であるが、やはり九州島からの搬入品である黒曜石製剥片が確認された。装身具ではジュゴン・サメ・イノシシの骨を素材とした簪・垂飾具・耳栓、オオツタノハを中心とした貝輪・貝珠のほかにヤコウガイ 製の垂飾具もあり、琉球列島中部文化圏独特の素材で作られたものが主体となる。
住吉貝塚は、集落の全体構造がおおよそ判明した、縄文時代後期後半から弥生時代 初頭併行期にかけての大規模な拠点集落である。また、遺構の遺存状態もきわめて良好であり、竪穴住居構造の変遷をはじめ、出土する石器・装身具・獣骨・魚介類などからは当該期の独特な生活様式や生態系の復元が可能になった。さらには、黒川式土器や黒曜石は九州島との交流をも示しており、琉球列島中部文化圏ではきわめて重要な遺跡として位置づけることができる。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。