紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図〈(開結共)/〉

絵画 / 平安

  • 平安
  • 10幅
  • 重文指定年月日:19900619
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 談山神社
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 法華経八巻と開経(無量義経)および結経(観普賢経)の計十巻の経文を、一巻あたり一幅ずつ紺紙に金泥で九重宝塔形に書写し、その四周に、絵画化された経典の内容を金銀泥で描く。描かれた尊像や人物像の肉身部には金泥を塗り、目鼻などは墨線で描き起こし、口や仏菩薩の白毫、肉髻珠の部分には朱をさすなど、特徴的表現がみられる。
 文字塔の周囲に経典の内容を絵画化する、いわゆる宝塔曼荼羅図の作例では、本図のほか、岩手・大長寿院蔵の紺紙金銀泥金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図、京都・立本寺蔵の紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図(いずれも重要文化財)などが知られる。談山神社本は、この二本に比べ、絵画化される場面数がきわめて多く、その配置も充填的で、霞を描いて場面間に区切りをつける処理もみられない。尊像や人物の肉身部を金泥でうめるなどの描法ともあわせ、これらの特徴は、高麗本とする説もある談山神社本細字法華経見返絵などに通ずる点があり、大陸原本との関係において本図の注目されるところである。
 ただし、樹木、水波、建物など、個々の描法は、平安時代に多く制作された紺紙経見返絵に共通するもので、その軽妙な描写筆致からみて、平安時代末期を下らない時期の制作とみられよう。
 平安時代に、法華経信仰の高揚とともに、多様な作品を生み出した法華経絵の重要な遺品のひとつとして、また広く経見返絵や説話画を考えるうえでも、本図の価値は高く、十巻を完存する点も貴重である。
 なお、蓋裏に承応四年(一六五五)の寄進銘をもつ、本図を収める箱の蓋表には、「念誦崛紫蓋寺【ねずきしがいじ】」の墨書がある。紫蓋寺は、『和州多武峰寺増賀上人行業記』によれば、多武峰中興の祖とされる増賀上人の墓所として、文治三年(一一八七)に多武峰に創建された寺院である。

紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図〈(開結共)/〉

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