朝倉敏景(一四二八~一四八一)は、越前において戦国初期の武将として雄名をはせた。
本図は無賛でその来歴を明らかにしないが、像容は俗髪ながら掛絡【から】をかけ念珠をとる凛乎とした風貌のうちによく像主を生写している点、寿像(生前の肖像)にきわめて近い時期の制作と考えられ、武将像としてのみならず肖像画としてもすぐれている。なお本図とあわせて敏景四代の孫にあたる義景(一五三三-一五七三)の肖像画を附【つけたり】とした。これには、朝倉氏の菩提寺である心月寺住職の天正元年の賛がある。両幅ともに越中光厳寺より後世本寺に伝わったものである。