我が国の不動明王像は、平安時代初期に請来された、儀軌に基づかぬ形式と、平安時代後期に成立した、儀軌に従ったいわゆる十九観系の形式とに大別されるが、本図は後者の例である。倶利迦龍剣を加えるのもそれにそっているが、三童子を配するのは、十九観に二童子を説くのと異なり、本図の最大の特色であろう。三童子は、まず円珍請来様五大尊像の不動明王三大童子五部使者像に見られ、鎌倉時代初期頃の図像「不動明王三童子像」(仁和寺)や「倶利迦三童子像」(石山寺)にも表されるが、本図と像容の類似するものは見いだされず、また『白宝口抄』には三童子を記載して矜羯羅・制〓迦の他に蓮華童子を挙げるが、典拠は明らかでない。ともあれ本図は図像的に珍しい遺品である。
表現は、多少肥痩を含んだ描線と暈しを用いた彩色とが調和を示し、獅子丸文等種々の文様を截金を全く使用せず彩色で精細に表すのが特徴的である。複雑な岩組や飛泉などの背景描写も丁寧で見るべきものがあるといえよう。総じて古様な表現であるが、衣文線や皴擦にやや固さがあるように見受けられ、製作年代は鎌倉時代の前半期とすべきかと思われる。
保存状態は良好とはいい難いが、欠失や補筆は意外に少なく、製作の質の点でも、遺品の多い不動明王画像の中で独自の価値を有する作品といえる。