高肉彫にあらわされた本躰は舟型の大光背、四脚座付の蓮華座を含めて一瀉【いつしや】に鋳造されている。面奥が深く体部にも立体感があり、両足を強く踏み開いて立つ姿は颯爽として、また光背の裏面や台座に刻まれた人物・鳥などには粗放な表現のなかに大らかな気分が感じられる。銘文によると北魏太和二十二年に肥如県【ひじよけん】(現河北省盧龍県)の比丘某等が造像したもので、当代に盛んであった弥勒信仰の一端を窺うことができ、またこの期金銅仏の造像地域を考える上にも一助となる。在銘の太和金銅仏は現在二十数例が知られるが、その後期を代表する大作である。