木造大日如来坐像 もくぞうだいにちにょらいざぞう

彫刻 / 鎌倉

  • 鎌倉 / 1210
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19930120
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 修禅寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 智拳印【ちけんいん】を結ぶ通形の金剛界大日如来像である。檜材の寄木造、頭体幹部を通して正中線での左右二材矧【はぎ】とし、頭体部とも像内を丁寧に内刳【うちぐ】り、三道下で割首【わりくび】とし、玉眼を嵌入する。髻は別材製。両手は肩・上膊半ば・手首で矧ぐ。両膝奥に三角材、両足部に横一材を矧ぐ。像底は周縁を残し、地付より約七センチ高まで刳り、底板を刳り残した上底【あげぞこ】式とする。表面は布貼、サビ下地、漆箔仕上げ。彩色は髪に青、髪際線に緑、元結紐および唇に赤、正面髪際のおくれ毛および髭に黒が残る。白毫、銅製の臂釧・腕釧と表面漆箔の過半を後補とし、また正・背面の条帛垂下部が亡失する。
 近年の修理に際し像内首〓に「承元四年(一二一〇)八月廿八日/大佛師實慶作」の墨書銘と、枕形に仕立てた織金錦【しよつきんにしき】の袋に納められた女性のものとみられる頭髪二束およびかつら一束が発見された。実慶は寿永二年(一一八三)のいわゆる運慶願経(国宝、上野家他蔵)に結縁者として名を連ね、また本寺にほど近い函南町の桑原区・阿弥陀三尊像(本年六月に重文指定)の作者でもあることがその像内銘によって知られる。本像の引き締まった男性的な面貌、分厚く肉付けされた体躯や力強い両腕の構えなどは、静岡・願成就院や神奈川・浄楽寺の運慶作の諸像(ともに重文)などと共通するところがあり、東国における鎌倉前期の慶派仏師の年代の明らかな基準作例としての意義は大きい。
 像内に納入された頭髪の主の名を知る直接の手がかりはないが、中国南宋よりの舶載品とみられる織金錦が高貴の女性の所持するにふさわしい品であることを思えば、この修禅寺で幽閉、暗殺された源頼家の室で、本像造立の一月あまり前の七月八日に落飾した辻殿のものである可能性が考えられる(口絵解説参照)。

木造大日如来坐像

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