豊国神社唐門 一棟
豊国廟は、慶長四年(一五九九)豊臣秀吉の遺命によって、秀吉を祀るために創建されたが、その後元和元年(一六一五)徳川氏により破壊され、まったく荒廃した。現在の豊国神社の社殿は明治初年方広寺跡に再建されたものである。
唐門は伏見城の遺構と伝え、最初二条城にあったのを金地院に移し、さらに明治時代の再建の際に現地に移したという。前後が唐破風、側面が入母屋の四脚門で、雄大豪放な蟇股及び彫刻を用い、よく桃山時代の気風を表している。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)