胴服は、小袖のうえからはおった表着の一種で、桃山時代を中心に武家のあいだで用いられた。これは表地に黄紗綾、裏地に紫平絹を用い、なかに真綿を入れた袷仕立の胴服で、胸、背、袖後の五か所の紋所には、桐一つと菊花二つを三つ盛りふうに刺繍し、襟には黄色の華文緞子【どんす】を付けている。
ゆったりとした身頃【みごろ】に幅の狭い袖を付けた独特の形状や、菊桐の紋にみる平糸をゆるやかに繍った渡【わた】し繍【ぬい】の技法に桃山時代の特色がよくうかがわれ、また表地の紗綾にみる卍字繋ぎに牡丹の文様も古様を示している。紗綾は中世末期ごろから江戸初期にかけて多く用いられた平織地に四枚経綾で文様を織り出した絹織物であるが、桃山時代の遺例は少なく、この胴服は紗綾を用いた貴重な遺品である。一見派手な文様の加飾は施されないものの、おおらかな地文を織り出した紗綾に、色替わりの紋を繍い、緞子の襟をつけ、裏地に紫色の平絹を用いるなど桃山時代の華やかな気分を伝えた胴服である。
なお、大和国小泉藩主片桐貞芳の安永四年(一七七五)の箱書きによれば、この胴服はかつて片桐貞隆(一五六〇-一六二七)が豊臣秀吉から拝領し、同家に代々伝えられたものという。その後、子孫の片桐貞篤によって明治十六年(一八八三)六月に豊臣秀吉ゆかりの豊国神社に奉納された。