黄梅院文書(百一通) おうばいいんもんじょ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 南北朝 室町 安土・桃山 江戸

  • 南北朝~江戸
  • 27巻、1冊、6幅、6通
  • 重文指定年月日:19860606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 黄梅院
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 黄梅院は夢窓疎石の塔所で、足利基氏の庇護を得て、義堂周信が塔主となり、関東における夢窓派の拠点として栄えた。本文書はかかる黄梅院の歴史を反映して、その修造から所領、法会、規式等に関するものがまとまっており、将軍家御判御教書、関東公方御教書などの武家発給文書、規式類、奉加勧進状、算用状や絵図などを含んでいる。疎石関係の文書では、疎石百年忌にあたり後花園天皇から仏統国師号を賜わった折の宝徳二年(一四五〇)八月廿八日後花園天皇宸翰諡号勅書、疎石開山になる臨川寺三会院のことについて自ら定め置いた本を弟子心岩周己が書写して、春屋妙葩【しゆんおくみようは】が証判を加えて黄梅院に納めた三会院遺誡案などがある。
 また、永徳三年(一三八三)文書目録は、義堂周信自筆になり、永徳二年黄梅院規式や、疎石三十三回忌の法要とその算用の次第を伝えた永徳三年十月一日国師三十三年忌御仏事注文等は、南北朝期の禅宗法会のあり方を明らかにしている。観応元年(一三五〇)九月廿五日の裏書を有する華厳塔図(南北朝期写)は、無学祖元将来の仏舎利、袈裟を納めた華厳塔の当初の姿を伝え、また応永三十年(一四二三)造営勧進銭納下帳は、同年製作になる境内図と一致し、室町期における黄梅院の規模を具体的に示して建築史上にも注目される。このほかでは、康安二年(一三六二)小坪郷分帳の如く、その所領構造が窺われるものや、永享の乱の渦中で黄梅院の無事を周施した竺雲等連書状など興味深いものが少なくない。
 このように本文書は、室町幕府並びに関東公方と深い関係にあった禅宗塔頭寺院の具体的な変遷を明らかにするまとまった文書として価値が高い。

黄梅院文書(百一通)

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