円仁入唐請来書目録〈承和七年正月十九日/〉 えんにんにっとうしょうらいもくろく

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 平安

  • 平安 / 1108
  • 1巻
  • 重文指定年月日:19890612
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 青蓮院
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 承和五年(八三八)に入唐した円仁は、翌年四月に楊州で求得した経疏類を延暦寺に送ったが、本目録はこれに基づき延暦寺がその経疏類を書きあげた送本目録である。本巻はその平安時代の現存最古写本で、体裁は巻子装。濃茶紙の原表紙を存し、「目録〈慈大師/〉」と外題がある。料紙は楮交り斐紙七紙を継いで墨界を施して書写し、巻首には「天台法花宗請益圓仁法師且求所送法門曼荼羅并外書等目録」と事書がある。本文は、全体の総数に次いで大乗経律論以下五種類に分類した員数を掲げ、さらにその内容を九帙、二箱のまとまりごとに記録している。末尾には円仁の書を引用して、これらが唐の和上等が深く戒めて妄りに散じてはならないこと、またその目録は第二船粟田録事に附したこと等を記し、承和七年正月十九日の日付と延暦寺三綱の署名がある。巻末には嘉承三年(一一〇八)七月一日に三光房律師の本をもって書写した旨の僧院昭の書写奥書があり、この院昭は青蓮院の初代行玄の師にあたる人物である。
 延暦寺が、この円仁の送本目録を作成した事情は、『続日本後紀』によれば、円仁が求得した経疏等を託した遣唐使船は承和六年八月に九州に到着したが、円仁自身が記した目録を託した第二船のみは逆風等のため帰国が遅れ、承和七年六月にようやく帰着した。このため延暦寺では、円仁自身の目録の到着が遅れている間に、既に到着した経疏類を勘検して本目録を作成したものである。円仁の作成した目録は、嘉保二年(一〇九五)写本が既に重要文化財に指定(「円仁入唐求法目録」、京都国立博物館保管。青蓮院旧蔵。昭和五十四年六月指定)されているが、本目録はそれと対比して経疏の配列等に異同があるほか、巻末に円仁の書を引くなど独自の内容を含んでおり、円仁の事跡を知る上で重要な史料である。

円仁入唐請来書目録〈承和七年正月十九日/〉

ページトップへ