大明国師(無関普門、一二一二-一二九一)は東福寺の第三世、南禅寺の開山として著名な禅僧である。像は東福寺塔頭【たつちゆう】、竜吟庵方丈に安置され、檜材の寄木造りで、玉眼を嵌入し、彩色をほどこす(衣は江戸時代の補彩)。国師の肖像としては、南禅寺に二幅、天授庵に一幅(寿像)の画像があっていずれも重要文化財に指定されているが、彫像は、これがおそらく現存唯一の遺例であろう。上瞼【うわまぶた】を山形に垂れ、耳を大きくつくる風貌など正しく上記の画像と一致するもので、ことに写実味豊かに彫出する面相部の表現には生彩があり、躰部の肉付けも自然で、よく鎌倉後期の特色を示し、師の歿後さほど隔たらないころの造像とおもわれる。
なお近年本像修理の際、像内から五輪塔、緑瑠璃壼、諸尊図像陀羅尼などの納入品が発見されているが、これらはいずれも師にゆかりの深い品々であるので、あわせて「附【つけたり】」として指定された。
他方、無関禅師骨蔵器等は昭和三十六年竜吟庵の庫裏の北側から発見されたもので、禅家高僧の骨蔵器に相ふさわしく何の飾り気もない簡素なもので、中世の墓制を知る上に貴重な資料として注目をあびるにいたった。国師(禅師)の墓(石造無縫塔)下の石室内に納置してあったもの。同墓は寛政三年の五百遠忌に際し、境内の某所から移築した記録があるので、前記骨蔵器の発見に促されて、昭和三十六年七月同塔下を発掘調査した結果出土したものであるが、両者の関係は確実でなく、附の銅骨蔵器を師の骨壼とは速断しがたい。しかしながら寛政以後は禅師のものと信じられ、旧埋納地より持ちきたった永仁二年銘の経筒と共に、石室内に納められたものと思われる。
このうち無関禅師骨蔵器は鋳銅製被蓋造りの丈の低い円筒状の骨蔵器で、蓋には緩【ゆる】い甲盛りがあり、鈕はない。身の側面に正応四年(一二九一)無関禅師霊骨云々の鏤刻銘【るこくめい】がある。
石櫃は花崗岩製で、前記骨蔵器の外容器に使われていた。蓋も身もほぼ同じ大きさの箱形のもので、身には骨蔵器を納める深い円形の孔を穿【うが】ち、蓋は印籠蓋様に作る。