木造弥勒仏及両脇侍像(本堂安置)

彫刻 / 平安

  • 平安 / 999
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19980630
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 弥勒寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 書写山円教寺の開基性空が、晩年隠遁の地として開いた弥勒寺本堂(重文)の本尊として祀られる弥勒三尊像である。三尊ともヒノキの一材から頭体幹部を彫成する一木彫成像で、中尊は左袖口、右上膊までを含む一材製で、両足部は横木一材からなり、体部には背刳を施す。脇侍は、左脇侍が左手先、右前膊半ば、天衣まで、右脇侍が左上膊、右手先、天衣までを含んだ一材から彫出されている(内刳なし)。
 三尊とも、目尻の上がった半月状の目を刻む相貌がみられ、三尊一具の作とみて誤りない。その製作については、中尊像背刳の内面および背板裏面に記された銘文により、長保元年(九九九)に但馬介源正胤を行事として造像されたと考えられる。
 本三尊像については、その独特の面貌をはじめとしてその作風が、平成七年度に重文に指定され、寛弘二年(一〇〇五)ころの作とみられる円教寺常行堂阿弥陀如来像(旧往生院安置)にきわめて類似していることが指摘されている。中尊像の銘文には、史料から円教寺像の造像に関与したことが知られる僧安鎮の名前が記されるほか、僧聖静、僧睿慶、清原是延など円教寺像の銘文中に共通する人物が登場し、性空門徒で師の没後、円教寺第一代の行事となり、寺務職を執行した僧延照も名を連ねていることなども注目され、この両像にはきわめて密接な関連性が認められ、同系統の仏師の手になる可能性が高い。
 現在、本三尊像は、表面が後世の劣悪な泥地彩色に覆われ、中尊像の面部には玉眼が嵌入されている。しかし、彩色の剥落した箇所からは、当初の漆箔や健全な彫刻面が各所で確認され、当初の像容がかなり保たれているとみられる。いわゆる和様彫刻の完成の前段階といわれるこの時期の年記を有する在銘彫刻としてきわめて貴重であり、また遺例の乏しい弥勒三尊像の古例としても推賞される。

木造弥勒仏及両脇侍像(本堂安置)

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