木造薬師如来及両脇侍像 もくぞうやくしにょらいおよびりょうきょうじぞう

彫刻 / 平安

  • 平安
  • 3躯
  • 重文指定年月日:19980630
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 鶴林寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 本寺本堂(国宝)の内陣の宮殿内に秘仏として安置される五尊像で、半丈六の薬師如来坐像に五尺弱の脇侍立像を左右に配した薬師三尊とその左右を五尺ほどの多聞・持国天像が固める。
 中尊は、頭体幹部を大略カヤの縦一材から彫出し、像底から頭部内に至る内刳を施し、左体側材、右膝奥三角材、両足部(横一材)をそれぞれ矧ぐ。両脇侍はともにカヤの縦一材から髻頂から蓮肉までの頭体幹部を彫出し、これに肩・手等を矧ぐものと思われる。中尊の負う光背は、ヒノキ材製で頭光が縦四材製、身光部は縦五材からなる。さらに、二天王像は、両像とも邪鬼までを含む頭体幹部をカヤ材の左右二材から彫出し、持国天には内刳が施される。
 現在、薬師三尊、二天王像とも表面は後世の漆箔や彩色に覆われ、また薬師如来像には像内胸腹部や地付廻りなどに補材が補われる。
 中尊像の、大きめの頭部を肩を張った幅広の上体が支える様や、両足部の着衣に弧を重ねた太い衣文を明瞭に刻むところなどは、貞元二年(九七七)ころの作とする説がある京都・六波羅蜜寺薬師如来坐像(重文)や、同じ播州の古刹円教寺に伝えられる永延二年(九八八)ころの釈迦如来坐像(重文)を想起させ、本三尊像の製作時期は一〇世紀後半ころと考えられる。なお、中尊像に付属する光背は、現状では光脚が亡失するなど、多少原状が損なわれているが、唐草文等の文様を浅く浮き彫りした古様なものである。大きさも像によく釣り合い、像本体と同時期に造られたものとみられ、半丈六以上の大作の遺品に恵まれない当代の遺例として貴重である。
 一方、二天王像は、頭部の太造りの造形や、ともに片手をあげ、片足を踏み出すものの、動勢は抑えられて落ち着きが認められるところなどは、薬師三尊像の作風に通じる。大振りの目鼻立ちを穏健な彫り口で刻んだ顔立ちや、右手をおろして戟を執る多聞天像の形姿は、正暦年中(九九〇-九九四)ころの法隆寺講堂四天王像に類似し、本二天王像は薬師三尊像とほぼ同じころに造られたとみて誤りなく、本二天王像は、六波羅蜜寺像とともに、寄木造の技法で造られた初期の作例とみられ、平安時代の彫像技法の展開を考えるうえでも重要である。
 現在、五体とも表面が後世の修理の手が入っているものの、いずれの像も大幅な改変はないとみられる。現状の安置状況は宮殿が建立された応永四年(一三九七)以前にさかのぼることは明らかであるが、半丈六の如来坐像を中心に平安時代一〇世紀後半ころの重厚な作風をみせる古仏が五体一括して伝来してきたことは推賞される。

木造薬師如来及両脇侍像

ページトップへ