明治時代において本格的に美術教育を受けた後に作陶に進んだ最も初期の陶芸家であり、帝展の工芸部設置に尽力し、近代陶芸の指導者として先駆的役割を果たした板谷波山(一八七二-一九六三)の大型花瓶の作品である。地文の青海波文や毘沙門亀甲文、窓絵の花籠などがきわめて精緻に表され、窓絵に配された桃・枇杷・葡萄の花籠図様も確かな構図により堅実に表現される。これらの文様に賦彩された釉下彩の藍・桃色・緑・黄の絵具も見事に発色し、全体に掛けられた葆光彩釉もしっとりとした潤いをたたえて幻想的に器面を包み込み、板谷波山の陶芸を如実に体現している。また葆光彩磁は、薄肉彫文様が色彩と効果的に一体化するように板谷波山が創出した釉薬技法であり、色ごとに防染剤で覆いつつ液体顔料を定着させ、艶消しのマット調失透釉を掛けたものである。包み込み、境を曖昧にし、うっすらと光沢があるという「葆光」という名称どおりに、本作品のような葆光彩磁では、多彩な色彩で彩られた釉下文様が淡いベールに包まれたような独特の効果を発揮している。
本花瓶は大正六年第五七回日本美術協会展に出品し最高賞である一等賞金牌を受賞した、名実ともに板谷波山が日本陶芸界の頂点に立ったことを示す記念碑的な作品であるとともに、板谷波山の陶芸を最も代表する作品である。展覧会出品直後に住友家により購入された。