京都市中と郊外の諸名所を屏風画面に描きだす洛中洛外図は、広く流行したものとみられるが、桃山時代前期を遡る作例は、本図の他には三条本(重要文化財)、高橋本(重要文化財 以上、ともに国立歴史民俗博物館保管)が知られているにすぎない。なかでも本図は、金雲の上に直接なされた寺社・武家・公家の邸宅などを示す墨書が二三二か所を数え、三条本の六一か所よりはるかに多い。登場する人物も圧倒的に多く、年中行事や民衆の風俗も、数多く描かれる。他本を凌駕する豊かな内容は、いきいきとした細密描写によって表現されている。
本図を描いた画家は、両隻に捺された朱文円郭壺形「州信」印を用いた、狩野永徳(一五四三~一五九〇)であると見做される。筆者の判明する洛中洛外図作例は他にない点で貴重なばかりでなく、筆者が日本絵画史上最も著名な画家のひとりであることが特筆される。
本図に描かれた景観は、全てがある特定の時点に対応するものではないと思われるが、永禄四年(一五六一)三月に将軍足利義輝が三好義興【よしおき】邸を訪れるにあたって新造された冠木門が見出されることが指摘されている。本図全体の景観年代には諸説があるが、景観年代が本図の制作年代に必ずしも直結するとはかぎらない。他方、本図が伝来した上杉家の資料によれば、本図は、天正元年(一五七三)あるいは二年に織田信長から上杉謙信に贈られた屏風に相当すると考えられている。これを本図の制作年代の下限と考えれば、本図の制作年代は永禄四年から天正元年頃までの間に求められるであろう。さらに厳密な制作年代を知ることは、今後の課題である。