字薬師段と呼ばれる所にあって、北部脊面に低い崖を負い南方に平地を臨む景勝の地を占めている。金堂跡の土壇には円柱座を造出した礎石が六個存し附近にまた若干移動して散在する。金堂跡の南東及び南西にあたって東西両塔の土壇がある。西塔跡は、四天柱礎一個を欠くのみで、心礎には円柱孔を彫り込み、その一隅に溝を穿ち、中心に舎利安置孔を設けている。東塔にはいま心礎、側柱礎二個が露出し、心礎は溝を欠くのみで西塔と同じ構造である。域内から白鳳時代の様式を示す古瓦類が出土し、講堂等についてはなお詳でないが、所謂薬師寺式伽藍配置の系統に属し上代寺院史上重要な遺跡である。