松本城 まつもとじょう

史跡 城跡 / 安土・桃山 江戸

  • 長野県
  • 松本市丸の内、大手2丁目
  • 指定年月日:19301119
    管理団体名:松本市(昭6・1・28)
  • 史跡名勝天然記念物

松本城は戦国時代から幕末まで継続して使われた信州を代表する近世城郭である。初め、深志城と呼ばれ、甲斐の武田氏が守護小笠原氏を追放し、信濃支配の拠点としたことから重要性を増すこととなった。武田氏滅亡後は北から上杉氏が、南から徳川氏が信濃支配をめざすが、徳川氏の支援を得た小笠原氏が奪取し、城下町の経営を進めた。天正18年(1590)の家康の関東移封に伴い、小笠原氏に替わって豊臣系大名である石川数正が入部し、数正・康長父子により城と城下町の建設が大きく進展した。関ヶ原の戦後は、小笠原・戸田・松平・堀田・水野・戸田氏とめまぐるしく藩主が交代し、明治維新を迎える。外周に総堀をめぐらし、内側に三の丸を置く。その北寄りに外堀があり、内側が二の丸、さらにその内側の東・南・西に内堀を掘り、本丸を置く。三の丸南側の総堀のすぐ南に女鳥羽川が総堀と並行して東から西へ流れ二重の堀としての役割を果たしていた。本丸の西南隅には国宝松本城天守がある。松本市教育委員会は平成11年に「松本城およびその周辺整備計画」を策定し、史跡整備を進めている。

松本城 まつもとじょう

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