多田院は源満仲が建立した寺であって満仲は没後寺内に葬られた。域内には金堂・塔婆・学問所・法華堂・常行堂・御影堂等が営まれ惣社六社權硯を祀り、荘嚴を誇っていたが、中世末に至っては寺運必ずしも盛んでなかったようである。江戸時代に入り、寛文年間幕府は新に本殿・拜殿・釈迦堂等を設け、元祿九年多田権現の神号を受ける等神社としての色彩が濃くなってきたが、明治維新後、多田神社と改称、今日に至っている。社地は当初の位置を継承し現境内は四囲に石垣・堀を廻らし内に源満仲・同頼光の墓足利尊氏等の分骨の墓及び本殿等があって維新後改変のあとはあるがなお旧観を偲ぶことが出来る。
多田は攝津守であった源満仲が晩年居を占め尓来攝津源氏の本據となったところで、歴史上著名なところであるが、多田院は満仲創建の寺として、また廟所として篤い崇敬を受けその廟所鳴動は特に重んぜられ、歴史上重要な史跡である。