長谷観音信仰の根本をなす大和長谷寺の本尊で、現存のものは頭部内の記により天文七年(一五三八)の復興像であることがわかる。左手に宝瓶をとり、右手は数珠をかけ錫杖に添えて直立する姿は元の形式をよく守り、優品の少ない当代にあって、これだけの巨像でありながら大過なくまとめあげられている。構造の基本は頭・体部それぞれに二本の心柱を軸として各数材を籠形に組んで躯幹部を構成するもので、巨像にふさわしい工夫がなされている。頭上面のすべて、持物、座光に至るまでほぼ完存しており、まさに室町彫刻を代表するモニュメントといえよう。
附【つけたり】の難陀竜王像は正和五月(一三一六)大仏師舜慶によって造立されたもので、鎌倉後期の堅実な作風・技法を示す。雨宝童子像は本尊十一面観音像と同じ時に同一作者によって造立されたもので、この二像は現在本尊に随侍の形で安置されている。それらの納入品は、中世における長谷観音信仰の様相と数次にわたる本尊復興の状況をつぶさに示す資料として貴重である。