彦山(近世以降は英彦山)は、古くより修験の霊場として諸人の崇敬を集めてきた霊山である。山頂には北嶽・中嶽・南嶽の三峰があり、その祭神は次のように伝えられる(『彦山流記』)。
○北岳(法体【ほつたい】岳)……忍骨尊(天忍穂耳尊【あめのおしほみみのみこと】)
○南岳(俗体岳)……伊邪那岐尊
○中岳(女体岳)……伊邪那美尊
本御正体のうち忍骨尊、伊邪那岐尊、また像が欠失している鏡板には伊邪那美尊【いざなみのみこと】像があったことが推察される。
三面の下辺にある刻銘によってもこの三面が彦山の三祭神を表したことが明らかにされるが、勧進を勤めた大千房については詳かでない。
懸仏【かけぼとけ】形式の御正体の形式編年を見ると、平安から鎌倉初期では像は鏡板に鋲止めし、背面に鈕を鋳出すのが通例で、鎌倉中期以降では像は鏡板に〓【ほぞ】止めされ、鏡板の両肩に鐶座を設けて吊る形式へと変化しており、本件は前者の時期の作とみなされる。
さらにその像容においても、眦のやや吊り上がった細い眼の面差しは古様な神像に共通するところであり、かつ彫りの深い衣紋【えもん】表現などにも同様のことがいえる。
大形できわめて稀な神像御正体であるとともに、肉取り豊かで、神像特有の森厳なる像容表現を見せる特色ある御正体として重要であり、かつ数少ない彦山権現の信仰資料としても貴重である。