小鹿田焼 おんたやき

工芸技術 陶芸

  • 選定年月日:19700417
  • 記録作成等の措置を講ずべき無形文化財

 小鹿田焼は、文禄・慶長の役後、九州に渡来した朝鮮半島出身の陶工による陶技が、筑前高取系の小石原【こいしわら】を経て現在の大分県の小鹿田皿山【さらやま】に導入され定着したものと考えられ、その開窯は宝永二年(一七〇五)と伝えられる。以来、明治時代末期まで、甕【かめ】、鉢、壼等の農家の日用雑器を焼造してきた。
 その後昭和六年、民芸運動の指導者であった柳宗悦【やなぎむねよし】の来山により、その伝統的技法と質朴・雄勁な作調が賞揚され、同四十五年、国は小鹿田焼の技術を記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として選択している。以後、今日まで伝統的製作工程による健全な作風が堅持されており、主として地元産の原料を用い、原料の製造・加工および作品製作にも伝統的な用具を使用する伝統的かつ地域的特色を有する技法が最も純粋に継承されている。
 以上のように、小鹿田焼は伝統的な陶芸技法のなかでも、工芸史上重要な地位を占めるとともに、地方的特色の顕著な工芸技術として極めて重要である。
 指定の要件
 一 陶土【とうど】は、小鹿田皿山で採取された原土を唐臼【からうす】で粉砕し、手作業で水簸【すいひ】・乾燥させたものとし、単味で使用すること。
 二 成形は、蹴轆轤【けろくろ】により、大物作りは、底打【そこう】ち、練付【ねりつけ】、腰継【こしつ】ぎによること。
 三 模様付けでは、伝承された刷毛目【はけめ】、飛【と】び鉋【がんな】、櫛目【くしめ】、指描【ゆびか】き、打掛【うちが】け、流掛【ながしが】け等の技法によること。
 四 釉薬は、フラシ釉(透明釉)、地釉【ぢぐすり】(飴釉)、セイジ(緑釉)、薄セイジ、黒釉【こくゆう】、ドーケとし、原料は、木灰【きばい】、藁灰【わらばい】、長石【ちようせき】、錆石【さびいし】、銅【あかがね】とし、調製は伝承された方法により、施釉は生掛【なまが】けを基本とすること。
 五 窯焚き(焼成)は、伝承された登窯【のぼりがま】によること。
 六 伝統的な小鹿田焼の作調等の特質を保持すること。

小鹿田焼

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