佐賀藩祖鍋島直茂(1538-1618)は鍋島清房の次男として天文7年(1538)本庄館に生まれる。母は龍造寺家純の女。龍造寺隆信の下で戦功をあげ、今山の合戦で大友氏を打ち破り、重臣の地位を固める。隆信の敗死以後、龍造寺一門や豊臣秀吉の信頼を受ける。龍造寺政家から高房へと移り、慶長12年(1607)両氏の死によって、名実共に鍋島佐賀藩が誕生する。直茂は隆信とは元々従兄弟であり、父清房へ隆信の母慶誾尼が再嫁したことにより、義兄弟でもあった。肖像画は菩提寺に甲冑姿があり、当会には束帯姿:横向き2点と正面向き1点があり、いずれも藩の御用絵師三浦子璨筆。右下に方印「三浦賢純/五州孫子/璨平淵印」あり。