教王護国寺金堂 一棟
教王護国寺は平安京造営に際し、延暦十五年(七九六)羅城門の左に建てられた左大寺(または東寺)で、弘仁十四年(八二三)勅して空海に授けられ、のち、天長二年(八二五)教王護国寺と改称された。金堂は延暦十五年この寺の創立とともに創建されたが、文明十七年(一四八五)焼失ののち、慶長八年(一六〇三)に再建された(棟札)。これが現在の金堂である。
桁行五間、梁間三間の母屋に、初重裳階を付けた雄大な建物で、和様、禅宗様、大仏様の三様式を混用し、これをみごとに統一した桃山時代仏寺建築の一優作である。大きな木割と裳階の大仏様三手先の組物とは、この大規模な仏殿にさらに雄大さを与え、裳階の中央一間を一段高くした意匠とともに優れた手法である。内部の架構もまた、禅宗様の手法を混用したみごとな構成である。なお昭和十五年解体修理が行われ、基礎から創建当時の礎石、敷石及び須弥壇の一部が発見され、位置及び規模が大体昔のままであることが確認された。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)