興福寺東金堂 一棟
康金堂は神亀三年(七二六)聖武天皇が元正天皇の病気平癒を祈って発願造立されたが、その後数度焼失し、現在のものは応永十八年(一四一一)雷火で焼失後、応永二十二年(一四一五)に再建されたものである。その後文明六年(一四七四)に須弥壇の修補があり、弘化三年(一八六四)、万延元年(一八六〇)にも修理があった。
桁行七間、梁間四間の堂で、組物は三手先、寄棟造本瓦葺の屋根をのせる。特に印象的なのは前面柱間一間をすべて吹放ちとしていることである。これは唐招提寺金堂(国宝)にみられるところであって、明らかに奈良時代以来の伝統的な手法である。内部においてもよく伝統的な和様を守っている。全体に木割が太く、堂々としており、室町時代和様の代表作といいうるが、さらに復古的な意匠になることは興味あることである。なお昭和十二年の修理に際し、仏埴下から旧本尊の仏頭(国宝)そのほかが発見されたことは注目される。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)