常楽寺本堂 一棟
常楽寺の創立沿革については、延慶元年(一三〇八)、延文五年(一三六〇)及び応永五年(一三九八)の奥書のある勧進状三巻がある。それによれば、この寺は和銅年間(七〇八~七一五)金蕭菩薩の開基になる阿星山五千坊の一つであったが、その後延文五年三月二十六日火災のため堂塔はことごとく焼失したという。ここにおいて僧観慶が再興を志し、間もなく再建をみたと思われるのが現在の本堂である。本堂は桁行七間、梁間六間の堂で、三間の向拝を付ける。現在は組物は二手先で、外陣の天井は一面の組入天井となっているが、建立当初は組物は出組で、外陣は側廻り一間通りが化粧屋根裏であった。また向拝の蟇股も取り替えられているが、内部の文様だけは当初のものを採用している。このような大修理が加えられた年代は明らかでないが、様式手法からみて室町時代末期と思われる。なお堂内の厨子は禅宗様を摂取し、本堂建立と同時の制作と思われる。このように、後に大修理があるけれども、依然としてこの本堂は室町時代における和様本堂の代表的な遺構の一つで、その価値は高い。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)