榮山寺八角堂 一棟
栄山寺は藤原武智麻呂の創立と伝える。八角堂は武智麻呂の子仲麻呂が亡父のため建立したもので、その年代は天平宝字四~八年(七六〇~七六四)の間と推定されている。その後寛治年間(一〇八七~九四)、天文十八年(一五四九)、江戸時代におのおの修理があった。
堂はいわゆる八角円堂で、柱はすべて八角をなし、四面に板扉を開き、そのほかの間に連子窓をそなえる。窓には古制がみられる。組物は三斗組、中備間斗束で、本瓦葺の屋根頂上には石製露盤を置く。ただし現在のものは明治新補のもので、破損した旧露盤は別に保存されている。内部は四本の内陣柱を立て、外陣と虹梁でむすび内陣には天井のような天蓋を置く。内陣の架構法は大斗の上に正方形の大虹梁をかけ、さらに斗を置いて八角に桁を組んだ巧みなものである。天蓋及び内陣の柱、貫等には優秀な彩色装飾画を残している。構造は簡素であるが、法隆寺東院夢殿(国宝)ととみに奈良時代八角円堂の貴重な遺構である。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)