木造四天王立像 もくぞうしてんのうりゅうぞう

彫刻 / 平安

  • 平安
  • 4躯
  • 重文指定年月日:19930120
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 大楽寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 本寺の木造弥勒仏及両脇侍像(重文)と一具として製作されたとみられる等身の四天王像である。
 四像とも檜材の寄木造、頭体幹部は左右二材より造り、内刳【うちぐり】のうえ割首【わりくび】とし、両肩をはじめ適宜別材を矧【はぎ】足す構造になる。表面はサビ下地、漆塗、彩色および漆箔仕上げとする。各像ともに彩色はほとんど剥落し、持物・台座を後補とし、本体の小矧材にも後補をまじえるが総じて保存状態は良好といえる。
 控え目な筋肉描写による忿怒の表情、腰幅の広い太造りの体躯、おっとりした身のこなしにはいかにも藤原時代風の穏和な気分が感じられる。その作風にはたとえば岩手・中尊寺金色堂の三壇諸仏中、元来藤原清衡の壇のものとみられる二天像などに近く、製作は弥勒三尊像と同様、十二世紀半頃と推定される。
 開口する増長天・広目天像には閉口する他二像に較べて体勢に大きな動きが与えられ、また広目天像の諧謔的な表情、多聞天像の腰高でスマートな体形など、四体の形制には少しずつ変化を付けながら、群像としてのまとまりはよく保たれており、三尊像を含めていずれも洗練された典型的な藤原和様に統一されている。半丈六の弥勒像を中心としてこれらの像が立ち並ぶさまは壮観であり、宇佐神宮を中心に都との結び付きの強い当地方の文化的先進性を示す遺品として評価される。
 本寺は元弘三年(一三三三)に創建され、翌年後醍醐天皇の勅願寺となったこの地方の名刹であるが、『太宰管内志』には本寺が初め近くの江島村に在したと記され、弥勒三尊、四天王像はこの前身寺院よりもたらされた可能性もあろう。

木造四天王立像

ページトップへ