本堂須弥壇上の四隅に、釈迦三尊像を囲んで安置される四天王像である。前方の持国天は左手を腰に当て、右手を振り上げて三鈷を執り、増長天は左手を挙げて戟を突き、右手を腰に当てて両者対称的な動勢を表し、後方の広目天は左手に経巻、右手に筆を持ち、多聞天は左手は腰脇で戟を執り、右手に宝塔を捧げ持つ。また肉身の色は持国を緑、増長を赤、広目を白、多聞を青に塗り分ける。大仏殿の鎌倉再興にあたり運慶、快慶らが製作した四天王像の形制・身色が同様であったことが記録から知られている。こうしたいわゆる大仏殿様四天王像の遺品は少なくないが、本像はその最古例である快慶作の金剛峯寺像(重要文化財)と甲制の細部に至るまで共通するところが多く、おそらく大仏殿像にかなり忠実に依って造られたものであろう。
持国・多聞天像は左右二材矧、増長・広目天像は前後割矧の構造になる。作風もこれに応じて二様が認められ、前者が忿怒の形相に生彩があり、太造りの充実した造形を示しているのに対して、後者は顔面の筋肉描写がやや単調で、全体にまとまりのよさが感じられる。十三世紀半ば頃の慶派仏師の手になる作品とみられるが、四躯とも堂々として力強く、動勢の把握も的確で、そのできばえはこの種の四天王像のなかで出色のものといえよう。また着衣や甲に各種花文を主体として、象や虎、孔雀といった鳥獣や密教法具をまじえた多彩な彩色文様が鮮やかに残り、当初の銅製光背および宝冠、邪鬼を完備する保存状態のよさも特筆される。