歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 安土・桃山 平安 室町 鎌倉 南北朝
石山寺では、中興の祖である三代座主淳祐(八九〇-九五三)が学究に徹し、以来学問の寺であるとともに、朝廷、貴族を中心に多くの信仰を集めた。こうした当寺に伝来した諸種の聖教中、最も重要なものとして校倉経蔵に一切経と共に収納されたのが、この「石山寺校倉聖教」である。平安時代前期から院政期を中心とする総数千九百二十六点(七一九巻、一、〇七八帖、五冊、一〇四通、七鋪、一三葉)を数え、真言系寺院の所蔵するわが国屈指の聖教遺品として仏教史のみならず国語学、美術史研究上にも知られている。
校倉聖教は、淳祐の教学研究の伝統を受け継いださまざまな人達が書写あるいは蒐集したもので、なかでも石山寺の学僧文泉房朗澄(一一三二-一二〇九)やその師慶雅(一一〇三-)等の書写・所持本が多く、おそらく朗澄が中心となって集成したものと考えられている。
一例をあげれば、これらのなかには薫聖教の類巻である『胎蔵私記』以下、紙背文書中に康保三年(九六六)頃と推定し得る仮名書状のある『虚空蔵念誦次第』や、版本では年紀の明らかなものとしては百万塔陀羅尼についで古い遺品である『仏説六字神呪王経』等が含まれていて注目されるほか、国語学上に貴重な古訓点資料も多く、また、図像類には、白描図像や各種の曼荼羅図など、『大正新修大蔵経』図像篇に収録されて著名なものが少なくない。
本聖教は早くからその価値が知られていたが、石山寺文化財総合調査団により昭和四十六・七年の二か年にわたる調査が行われ、昭和五十六年に目録が刊行されて、その全貌が明らかになったものである。