東妙寺文書(三十二通) とうみょうじもんじょ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 鎌倉 南北朝 室町 安土・桃山 江戸

  • 鎌倉~江戸
  • 3巻
  • 重文指定年月日:19900629
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 東妙寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 佐賀県神埼郡田手の東妙寺に伝来した境内図ならびに文書である。
 境内図は真言律宗西大寺末寺の東妙寺(僧寺)と妙法寺(尼寺)の伽藍を描いた鎌倉時代後期の絵図で、料紙は楮紙九紙を各三段に継いで用い、北を上に中央に田手川の流域、左岸に東妙寺の伽藍と寺域の在家、右岸に妙法寺の伽藍と門前の在家を描いている。図には建物、樹木を中心に要所に彩色があるが、現状は剥落が著しい。
 東妙寺は、東西に走る大路に接して堀を廻らせ、伽藍の正面に瓦葺朱塗の二重門、中央に瓦葺朱塗の本堂、前庭左右に鐘楼、五重塔(後の安国寺利生塔)、鎮守などを置く。妙法寺は、板葺の本堂を中心に伽藍を配し、上土塀にて門前の一般在家とを区切り、他は生垣と山をもって結界する。図中には堺を示す朱線や、「護摩堂」などの墨書注記がある。また、僧寺南側の寺域には同寺に付属した律宗集団に関わる建物を描いたと思われるものもあって興味深い。
 この絵図は年紀を欠くが、中世大和絵の特徴を示す手法や、建物の細部にわたる描写などもみられる。東妙寺は弘安年間(一二七八-八八)の草創と伝え、東妙寺文書によれば十四世紀初頭には同寺の造営が、幕府の援助をうけ本格的に行われていたことが判明する。おそらく本図は、その造営なった鎌倉時代末期に描かれた伽藍図と考えられる。
 律宗寺院の規模を示す絵図としては称名寺結界図(重文、称名寺蔵)が知られるが、並置する僧尼両寺の伽藍配置を伝えた絵図としては本図が唯一の資料であり、九州における関東祈祷所寺院の具体的規模を伝えて仏教史、建築史上に価値が高い。
 東妙寺文書はわずかに三二通を存するのみであるが、得宗権力を背景とした西大寺流律宗寺院の九州進出とその経営、足利氏との密接な関係を示す文書など、律宗寺院の変遷を明らかにして注目される。

東妙寺文書(三十二通)

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