法隆寺東院鐘楼 ほうりゅうじとういんしょうろう

建造物 宗教建築 / 鎌倉

  • 奈良県
  • 鎌倉前期 / 1185-1274
  • 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
  • 1棟
  • 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
  • 重文指定年月日:19000407
    国宝指定年月日:19550202
  • 法隆寺
  • 国宝

法隆寺東院鐘楼 一棟

東院鐘楼は、伝法堂と舎利殿絵殿の中間西方の建つ袴腰付鐘楼である。『東院資財帳』にはその記載がなく、『法隆寺別当次第』に応保三年(一一六三)の建立とするのが文献上の初見である。
 現在の建物は鎌倉時代中期の様式を示すが、頭貫・枠肘木・扠首棹・扠首台などに応保材と思われるものがあり、柱・組物・軒など大部分の部材を取りかえて鎌倉時代に解体再建したものと考えられている。その後桃山時代に小屋組、妻飾を改め、江戸時代には袴腰下に地覆石を新たに入れ、全面漆喰塗であった袴腰の下方三分の二を板張りに改めるなどの改造があり、現状はそれをうけついでいる。
 低い基壇上に建ち、下層軸部は角柱を足固貫、飛貫、頭貫で固め、上に台輪をおいて上層の丸柱をうける。上層の縁は頭貫をのばして支え、組高欄をめぐらした簡素な形式である。上層の組物は軒天井・支輪付の二手先で、手先位置で三斗を省き、直接支輪桁をうける簡素なめずらしい形式をもつ。軒は二軒繁垂木とする。垂木間隔が各柱間で異なるのは応保の規模を踏襲して再建されたことによると思われるが、垂木枝割成立の過渡的な例といえよう。
 釣ってある鐘は『古今目録抄』に中宮寺の鐘と伝える天平時代のものである。古代の鐘楼は西院鐘楼のように楼造であったが、このように下層に覆いをつける袴腰形式の現存例としては当鐘楼が最も古く、歴史的価値は高い。

【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五)

法隆寺東院鐘楼

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