法隆寺鐘楼 ほうりゅうじしょうろう

建造物 宗教建築 / 平安

  • 奈良県
  • 平安中期 / 1005~1020
  • 桁行三間、梁間二間、楼造、切妻造、本瓦葺
  • 1棟
  • 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
  • 重文指定年月日:18990405
    国宝指定年月日:19510609
  • 法隆寺
  • 国宝

法隆寺鐘楼 一棟

大講堂の前方東脇に、経蔵と相対して建つ。奈良時代創建の鐘楼は延長三年(九二五)に講堂とともに焼失し、現建物は十世紀おわりごろに再建された。再建にあたっては旧規模を踏襲し、それまで回廊外にあって独立していたが、北回廊が大講堂まで延長したので、鐘楼・経蔵ともに回廊の中間に建つことになった。その後数回の小修理を経て、慶長の大修理では軒、破風、高欄に変更をうけている。
回廊と一連の基壇上に建ち、自然石の礎石上の丸柱は、平安時代としてはめずらしく柱上部で細くなる銅張りをもつ。正面中央間には低く内法長押を打ち扉口を開き、他の柱間は白壁で閉じる。白壁中央の腰貫は中世以後の補強である。腰組は出三斗組で、通肘木上に上層の柱盤をおく。
上層の柱位置は経蔵では下層よりやや内側にあるが、鐘楼は下層柱の直上に建て、柱にはわずかに胴張りがある。組物は平三斗で断面小判形の桁をうけ、軒は二軒で先端の反りの強い角垂木を用いる。架構は二重虹梁蟇股で経蔵と同形式であるが、虹梁先端に増しがつき、蟇股の形や虹梁の曲線は平安時代の特徴をよく示す。
上層の桁行中の間は吹放しで、上層には床も張られていないが、重い梵鐘を支えるために土台、支柱を入れて大虹梁上の中梁を支えるなど、補強が加えられている。
鐘楼は平安時代の楼造の唯一の遺構であり、経蔵と同形式ながらも、やや軽快さに欠けて時代さを示している。

【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五)

法隆寺鐘楼

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