絹本著色稲葉一鉄像 けんぽんちゃくしょくいなばいってつぞう

絵画 / 安土・桃山

  • 桃山
  • 1幅
  • 重文指定年月日:19870606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 智勝院
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 稲葉一鉄(一五一六-一五八八)は、安土桃山時代の美濃の著名な武将。長良の崇福寺に僧となっていたが、父と兄弟の戦死により還俗した。初め土岐頼芸に仕え、その滅亡の後は斎藤竜興、ついで織田信長を主とし、最後は豊臣秀吉に仕えて信任を厚くした。三位法印に叙せられ、天正十六年十一月に没した。本図の賛は翌年の十月に著けられており、一周忌に際し描かれたものと知られる。
 画面を横切る上畳の上に、太刀を傍に置き扇を把って坐す姿は、基本的に武将像の一般的形式に倣う。白の直綴に黒の薄物の道服を重ねた着衣は剃髪者らしく清楚であるが、扇を金泥で彩るあたりに華やかな時代性がおのずから表われていよう。堂々とした風格を備えた作風は、当代武将像の典型を示すものとして賞される。
 ところで本図の作者については、『稲葉家譜』に子の貞通が京都の画家に命じて描かせたと伝えるのみである。しかし、滑らかな曲線による単純な輪郭の身体や、細やかな相貌表現の特徴が、長谷川等伯(一五三九-一六一〇)の手になる一連の肖像と似通うことは注意されよう。本図の賛者玉甫紹琮(一五四六-一六一三)は慶長十四年(一五八六)に大徳寺百三十世となった人であるが、等伯は本図の作られた天正十七年には同寺において三門の天正と柱に描くなどの活躍をしており、後の慶長十四年(一六〇九)には玉甫の像を製作している。この様な状況をも考慮に入れて、本図を長谷川等伯の作として検討することは十分に妥当があるといえよう。

絹本著色稲葉一鉄像

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