木造十一面観音立像 もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう

彫刻 / 平安

  • 平安
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19910621
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 瀬古区
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 白檀【びやくだん】のように堅緻な榧【かや】材を用いて素地【きじ】仕上げとした十一面観音立像である。髻と天冠台の上方は髪筋を刻まず、髪際正面をまばら彫りとし、肩にかかる波状の垂髪を表す。左手は前に出して宝瓶を執り、右手は腰脇で前に向けて下げる。条帛【じようはく】、裳、天衣【てんね】、臂釧【ひせん】をつけ、腰を左に捻り、右膝をゆるめて立つ。頭部から足下の蓮肉までのほぼ全容を一材から彫出するが、両手首より先は左手の宝瓶を含め別材で作る。そのほかにも、頭上面の全てと髻先端、後頭部、右耳朶、背部左側の一部、左手第二-四指先、右足第一指、天衣の両腕の外側に垂下する部分に別材を寄せているが、これらは後補である。
 ほぼ球形の頭部には瞼と頬の膨らみのつよい面貌を刻み、条帛を胸高にまとう幅広い短躯も豊かな肉付きとし、大ぶりの衣文をあしらう。その伸び伸びとしておおらかな作風は、平安前期の檀像と呼ばれる精緻な小彫刻のなかにあって、やや異質な趣を示すものといえよう。右膝をゆるめながら踵を大きくうかせるのは、『十一面観世音神呪経【しんじゆきよう】』(耶舎崛多訳)などに白檀の十一面観音像が「自然動揺」したと説かれるさまを表すものであろうが、その動態表現に個性的な特色がうかがえる。類似の遺例は檀像よりも一木彫像の大作に求められ、それとの比較により製作の時期は九世紀前半に位置づけられる。
 なお本像は明治初期に廃絶した高田寺に伝来し、その跡地に建つ白山町大字川口字瀬古の公民館に安置されていた。

木造十一面観音立像

ページトップへ