中尊は五メートルをこえ、両脇侍【わきじ】も四メートルに近い巨像で、鎌倉初期の彫刻の中で最もすぐれたものの一つである。東大寺を再興した高僧重源【ちようげん】が、その一生の間に各地に丈六【じようろく】の仏像を残したことは、彼の造寺・造仏事業を記録した作善集【さぜんしゆう】によって知られるが、この三尊はその一つであり、しかも現在完全な姿で残っている唯一のものである。重源の造仏には仏師快慶が大きな役割りを果たしており、この三尊にも快慶の作風にきわめて近いものがみとめられる。宋風の様式をとり入れ、しかも一種の絵画的な趣致を表現しているところには、重源その人の好尚もうかがわれて興味深い。