貫之集 つらゆきしゅう

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 鎌倉

  • 奈良県
  • 鎌倉 / 1275
  • 1帖
  • 天理大学附属天理図書館 奈良県天理市杣之内町1050
  • 重文指定年月日:19880606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 学校法人天理大学
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 平安時代の代表的歌人紀貫之の家集の鎌倉時代の古写本で、貫之の和歌九十一首を一帖に書写している。体裁は綴葉装で、現状は金襴の後補表紙を装するが、その次に原表紙を存している。原表紙は墨流紙に上部に金銀小切箔砂子雲霞引、下部に金、銀、緑青で水流、草、網代、車などを描いており、右上に「貫之集」と外題がある。本文の料紙は、鳥ノ子紙に金銀泥で草、花、鳥、蝶などを描いた下絵料紙で、内題はなく、本文は半葉九行、和歌一首二行書きに書写している。
 帖末には本文の末に続けて「右大将在判」とあり、さらに頁をかえて建長四年(一二五三)六月十日の真観本奥書、文永一二年(一二七五)四月三日の書写奥書がある。これらによれば本帖は文永一二年の書写になるもので、その底本としたのは右大弁入道真観(葉室光俊。一二〇三~一二七六)が建長四年に院(後嵯峨上皇)の命により書写し進上したもので、さらにその祖本は種々の色紙を用いたもので、右大将(西園寺実氏ヵ)の判が加えられていたものであったことが知られる。文永十二年の書写奥書には花押が加えられており、帖末の寛永十一年(一六三四)古筆了佐の極書は本帖の筆者筆者を二条為氏としているが、奥書の花押は現在知られている為氏の花押と一致せず、本帖の筆者を特定することはできない。
 『貫之集』の伝来は多く、本帖以外の諸本は二系統に大別されるが、本帖はそのいずれとも系統を異にし、詞書、和歌の語句等に他の諸本と異同があり、本帖のみの特有歌が二首あって、和歌文学史研究上に注目される。
 なお、『寛政重修諸家譜』には天和元年(一六八一)に将軍徳川綱吉から牧野成貞に二条為氏筆の貫之集が下賜されたことがみえるが、本帖は箱の蓋裏の貼紙にその拝領の旨が記されており、綱吉から下賜され、常陸笠間藩主牧野家に伝来したものと考えられる。

貫之集

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