『裁判至要抄』は建永二年(一二〇七)後鳥羽上皇の院宣によって明法家の坂上明基【さかのうえのあきもと】(一一三八-一二一〇)が撰進した法制書で、この陽明文庫本はその弘長三年(一二六三)書写奥書を有する現在最古本である。
体裁は旧折本を改装した巻子本で、厚手楮表紙に本文と同筆で「裁判至要鈔 行賢」の外題がある。料紙は楮紙に淡墨界(天四罫、地単罫、縦界)を施し、本文は「裁判至要抄」の首題についで「一、荒地経官司可請開事」以下標目三十三箇条を掲げる。ついで一行を空け、各条文について該当する律令格式等を引用し、さらに「案之」云々と撰者明基の案文を記している。文中には本文と同筆の墨傍訓、送仮名、返点等が付され、うち六箇条には紙背に注記(一部後筆カ)が加えられている。巻末には『裁判至要抄』撰述の経過を伝える明基の奥書と、この本を一見した蔵人葉室宗行の坂上明政宛の書状を収めた本奥書がみえ、さらに桑門行賢が弘長三年三月十五日に本書を書写し校合加点した旨の奥書がある。
所収記事は田畠、出挙、売買、相続などいずれも民事裁判の条項で、引用文中には戸婚律、雑律等の逸文もみえて注目されるが、ことに第十五条「処分任財主意事」以下の十九条項は、すべて財産の譲与、相続に関するもので、本書が財産関係の訴訟に対応した法制書として意図されたことを示唆している。本書には、現実に即した法解釈がみえ、祖父坂上明兼撰になる『法曹至要抄【ほつそうしようしよう】』よりも「御成敗式目」に近い解釈を示すところもあり、本書は鎌倉幕府法に少なからず影響を与えた中世公家法として中世法制史上に重要な位置を占めている。
なお、この陽明文庫本は体裁等よりみて、同文庫所蔵になる重要文化財「法曹至要抄」ともと一具の僚巻と認められる。